最近、カトリックで洗礼を受けている人でも、離婚している若者が多い。予め、言いますが、私は単なる一人のカトリック信徒で、決してカトリックの教えを定義しているわけでもないし、そういう資格もありません。ただ、本人たちは、結婚したけど、離婚した。と考えています。でも、私見ですが、そもそも、結婚は成立していたんでしょうか?婚姻届けを提出し、受理されれば、成立する…。それには、前提条件があるはずです。同棲と結婚の違いは、ただ、婚姻届けを出したか、出さなかっただけのこと?イエスキリストの誕生以前にも、勿論、結婚生活は世界中でありました。しかし、イエスキリストの最大の愛によって、結婚は神の愛の印になった。カトリック教会では、カトリック信徒の男女の結婚がそれに該当します。しかし、大切なことは、神様は、形式よりも、人の心を重視していることです。カトリックの男女が、司祭と参列者の前で、〝○○さんを私の妻(夫)とし、順境においても、逆境においても、健康の時も、病気の時も、生涯、愛と忠実を誓います。”と誓約すると、結婚が成立します。 要は、この過程を抜きに、結婚は成立しない。うまくいかなかったら、別れりゃーいいじゃない。ではそもそも、カトリックでいう結婚にはならない。だから、イエスキリストの弟子は、イエスキリストの結婚の話に、そんなに大変なら、結婚しない方がいいと答えています。一見、平凡に見える結婚生活ですが、それを誠実に生涯全うするのは、英雄的な行為とは、言いすぎでないと思います。私は、仏教徒の家に生まれて、26歳でカトリックの洗礼の恵みを受けました。18歳ぐらいから日本基督教団の教会に通たこともあります。カトリック教会に通うようになっても、パリミッション会のボンブレッド神父様は洗礼までに3年ぐらい、結婚でも、そんなに急いで結婚しなくてもいいよ、といつも言ってくれました。洗礼の時は〝明日にも死んでしまうのなら、すぐに洗礼するけど…”と言っていました。優しい心遣いだったと思います。洗礼でも、結婚でも、実際はその先が長いし、旅路を全うしなければならないからです。離婚してしまった人も、イエスキリストの最大の愛を忘れないでほしいと思います。
2019年3月21日 明るいニュースを伝えようと思っても、暗いニュースに目が行ってしまいます。青少年の自殺です。〝類は類を呼ぶ。”といいますが、人みんなの存在はどんな人であっても、平等に大切です。色々な小さな規則よりも重要な規則です。児童虐待も同じです。どんな子供も、親の言うことを聞く子も、聞かない子も、先生の言うことをよく聞く子も、聞かない子もその存在自体は、平等に大切です。学校教育でも、知識偏重の傾向がありますが、よい心、清らかな心を持つことは優先的に大切です。そして、人間的な力だけでは、清らかな心、平和な心を持ち続けることは、非常に困難です。それは、順風なとき、逆風な時があるからです。正しい考えが常に、その集団で多数であるとは限りません。憲法でいう違憲立法審査権とは、多数決の限界を示しています。手段が目標になってしまいます。富、財産も同じです。人間的には抱え込んで、もっと沢山、もっと沢山というようになり
ます。困っている人がいても人、見たくない欲求だけになります。人間の力だけで、欲望をコントロールするのは
絶望的に無力です。私たちは、幸せなモデルを自分自身で求めるときです。社会が与える幸せのモデルは、よい大学を出て、安定した所得が保証される職業に就くこと、または、世界中でトップクラスのアスリートになり、豊かな所得の人生を送ることです。いづれにしても、人間の力だけでは、越えられないことを、存在の根源の力で越えなければなりません。

2019年3月6日 この日はmerdredi cendres です。cendrillonをご存知とおもいます。シンデレラです。神父様が、信徒の額に灰で十字架を記します。大人になっていつの間にか、欲望だらけの世界に、たっぷりと身を浸してしまいます。子供のような心を〝無邪気な”心といいます。そうそう!邪気がないのです。イエスキリストは〝子供のようにならなければ、神の国に入れない。”と言われれました。子供は天使です。悲しいほどに純粋に天使です。
私も、聖霊に助けられて、毎日を主の教えを守って歩きとおしたいと願っています。

2019年3月1日 この言葉は、40年くらい前に、パリ外国宣教会のボード神父様が、私に声かけされた言葉です。私たちがお世話になったパリ外国宣教会の神父様や加藤神父様、池田神父様、津田神父様、皆様、今は、天国におられます。私たちの仕事の方針は〝みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。”です。神様はどんな人にも同じように、太陽や雨をお与えになります。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。それが神の子です。とイエスキリストは教えてくださいました。でも、人間的には到底、できません。聖霊の助けによってやっていこうと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。 増田 和俊