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全12ページ/11ページ目 7月20日に弊社ショールームにて「ノーリツフェア」を開催いたしました。
お天気が心配でしたが、たくさんのお客様にご来店いただきました。またたくさんのお問い合わせ・ご注文してくださったお客様も本当にありがとうございます。
今回は、講師の先生をお呼びしてマルチグリルの料理実習をいたしました。キャセロールを使い、鳥の唐揚げと抹茶の蒸しパンを作っていただきました。
実際に試食させていただきましたが、唐揚げは中まで味がしっかりと染み込んでおり、蒸しパンは冷めても中までふわふわでとても美味しかったです。
キャセロールでは「煮る」「蒸す」「パン」といったお料理が作れます。基本的には、いつもコンロで使っているお鍋と同じような使い方をしていただける調理容器です。
もちろん、お鍋ではなかなかできない茶碗蒸しといった蒸し物料理や、フォカッチャ、ブラウニーなどのケーキやパンも作ることができるので、お料理の幅が広がり、キャセロールひとつで料理が完成してしまうので、お掃除の手間がなくなります。
今回はノーリツフェアとのことでノーリツさんの製品を中心に展示しておりましたが、その他メーカーさんの製品もたくさん置いておりますので、ショールームのお近くを通った際はぜひ足をお運びください。
また、9月も弊社ショールームにてフェアを開催いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします! 担当 相原
当社から、ご購入いただいて、使い方など、困っていることありませんか?遠慮しないで
どんどん、お電話とか、メールしてください。ガスコンロなら、グリルプレートなど、使い
こなされていますか?家庭用器具はご家庭が楽しい毎日を過ごすためにあります。また、
SIセンサーコンロをご使用なら、もう、ガス漏れ警報器は絶対必要とはいえません。LPG
の設備士テキストはそうなっています。どんな疑問でも、お寄せください。本当にお客様の
お役に立つことかどうか、を優先してお答えします。 増田 和俊 
中学生が同級生を殺傷したというニュース。学校も社会の価値観に染まっています。勉強ができるとか、良い学歴があるとか、本当の価値ではありません。どんなに学歴や知識があっても、正しいことを守ることができなかったり、人に同情する心に欠けていたりしたら、そんな学歴はない方が幸せです。手や足、目、耳、口、など、体には多くの器官があって成り立っています。全ては依存しあって成り立っています。そして、本当の比較ができるのは
神様で、人間にはできません。学校の勉強は、友達との競争ではありません。出世も、神様の目から見たら、本当の価値ではありません。また、出世も本当の幸福とは無関係です。 増田 和俊
6月7日にノーリツさんのマルチグリルの実践研修を行いました。
プログレとピアットのマルチグリルを使い、サバの塩焼きとパエ
リア作りに挑戦!
食材は下ごしらえをして、そのままキャセロールに乗せたら、グ
リルの調理をしたい料理のボタンを押すだけで、火の調整や温度の
調整などを自動でやってくれるので料理の時間が大幅に縮まります。
今回は魚とごはんを中心とした研修でしたが、ハンバーグやパス
タ、パンなども食材を置くだけで作ることができるので、洗い物も
1つで楽々です。
製品の細かい違いや調理方法が詳しくわかり、大変勉強になる研
修会になりました。
また、ノーリツさんのHPでもマルチグリルを使った料理のレシピ
などが定期的に更新されているので、気になった方はこの機会にい
かがでしょうか?
【ノーリツ 毎日、マルチグリル】
https://www.mainichigrillbu.com/
相原
スリランカの司教座聖堂の復活祭での自爆や川崎の殺傷自殺など、悪魔の冷酷さのむき出しでした。
アメリカの銃規制強化を私たちは言いますが、日本では、ホームセンターで凶器が一般商品として
販売されています。一般家庭では、これらの凶器になる包丁は必要ありません。許可制にすべきです。
子供たちにも、安全な社会を建設するようにしているのは、元来、社会というところは、完全な安全
ではないからだという真実を伝えてあげるべきです。犯人は〝生まれてこなかった方がその人にとって
良かった。”というような環境で生育したのでしょう。悪と思われることも、光の下に照らされると善
に変わるといわれています。聖アウグスチヌスは若い時、同棲していた時の息子がいました。息子の
存在を隠すこともなく、ともにクリスチャンの道を歩み通しました。
被害者の魂は、イエスキリストのそばにいて、平安です。勿論、生きています。そして、これからも、
ご家族を守り通してくださいます。目を閉じて、話しかければ愛する人の心に話しかけてくれます。
Sainte Marie , Mere de DIEU, priez pour nous, pauvres pecheurs,maintenant et a l’heur de notre morts.
増田 和俊

復活祭おめでとう!今年は4月21日でした。今日は5月4日、香貫山も新緑が美しい季節です。
イエスキリストのご復活は、私たちに聖霊を下さり、不屈の勇気を湧きあがらせます。

四旬節第4主日の福音は、生真面目な長男と放蕩して故郷に帰ってきた次男とお父さんが主題のイエスキリストが
話したたとえ話でした。ファリザイ人と律法学者がイエスを〝税吏や罪びとと食事をしている。”と非難していた
状況でされたことです。このブログはあくまでも、私、増田和俊の意見ですので、カトリック教会の正式のミサの
説教はヴァチカンのサイト等をご覧ください。ファリザイ派や律法学者は、他人のことを一々、あげつらう人です。イエスキリストがされたたとえ話は、人情味にあふれています。身につまされることで、聞きながら、〝そうだな~、長男ってそんな感じ。次男は要領よくて、そんな感じ。” 現実の親父と違うのは、このお父さんです。
私たちは、イエスキリストから見たら、父親を知らない、私生児のようです。だから、イエスキリストはこの話
をされたのでしょう。大体、父親が元気なのに、〝お父さんの財産で、僕の相続分を今、下さい。” なんて父親に
言う息子がいるのかな~。と思います。とにかく、よく、ありそうな話で、自分の中にも、長男と次男の両方の性質があります。この世の父親は、多分、こんなに優しい父親ではありません。この父親は、私たちの天におられる
父です。24日の主日(日曜日のこと)では、神様(天の父)の名前は、”我在り”という話でした。否定形にした方が理解しやすいかもしれません。〝我不在”。ルールもなにもなし、この世は地獄になってしまいます。イエスキリストの話を福音、Gospelといいます。Go:Good,spel:spellです。この頃、聞かない諺に、〝親の心、子知らず。”というのがありますが、この親の心というのは、天の父の心のことだったかもしれません。神様の愚かさは、人間の賢さよりも賢いと教えてくれます。
最近、カトリックで洗礼を受けている人でも、離婚している若者が多い。予め、言いますが、私は単なる一人のカトリック信徒で、決してカトリックの教えを定義しているわけでもないし、そういう資格もありません。ただ、本人たちは、結婚したけど、離婚した。と考えています。でも、私見ですが、そもそも、結婚は成立していたんでしょうか?婚姻届けを提出し、受理されれば、成立する…。それには、前提条件があるはずです。同棲と結婚の違いは、ただ、婚姻届けを出したか、出さなかっただけのこと?イエスキリストの誕生以前にも、勿論、結婚生活は世界中でありました。しかし、イエスキリストの最大の愛によって、結婚は神の愛の印になった。カトリック教会では、カトリック信徒の男女の結婚がそれに該当します。しかし、大切なことは、神様は、形式よりも、人の心を重視していることです。カトリックの男女が、司祭と参列者の前で、〝○○さんを私の妻(夫)とし、順境においても、逆境においても、健康の時も、病気の時も、生涯、愛と忠実を誓います。”と誓約すると、結婚が成立します。 要は、この過程を抜きに、結婚は成立しない。うまくいかなかったら、別れりゃーいいじゃない。ではそもそも、カトリックでいう結婚にはならない。だから、イエスキリストの弟子は、イエスキリストの結婚の話に、そんなに大変なら、結婚しない方がいいと答えています。一見、平凡に見える結婚生活ですが、それを誠実に生涯全うするのは、英雄的な行為とは、言いすぎでないと思います。私は、仏教徒の家に生まれて、26歳でカトリックの洗礼の恵みを受けました。18歳ぐらいから日本基督教団の教会に通たこともあります。カトリック教会に通うようになっても、パリミッション会のボンブレッド神父様は洗礼までに3年ぐらい、結婚でも、そんなに急いで結婚しなくてもいいよ、といつも言ってくれました。洗礼の時は〝明日にも死んでしまうのなら、すぐに洗礼するけど…”と言っていました。優しい心遣いだったと思います。洗礼でも、結婚でも、実際はその先が長いし、旅路を全うしなければならないからです。離婚してしまった人も、イエスキリストの最大の愛を忘れないでほしいと思います。
2019年3月21日 明るいニュースを伝えようと思っても、暗いニュースに目が行ってしまいます。青少年の自殺です。〝類は類を呼ぶ。”といいますが、人みんなの存在はどんな人であっても、平等に大切です。色々な小さな規則よりも重要な規則です。児童虐待も同じです。どんな子供も、親の言うことを聞く子も、聞かない子も、先生の言うことをよく聞く子も、聞かない子もその存在自体は、平等に大切です。学校教育でも、知識偏重の傾向がありますが、よい心、清らかな心を持つことは優先的に大切です。そして、人間的な力だけでは、清らかな心、平和な心を持ち続けることは、非常に困難です。それは、順風なとき、逆風な時があるからです。正しい考えが常に、その集団で多数であるとは限りません。憲法でいう違憲立法審査権とは、多数決の限界を示しています。手段が目標になってしまいます。富、財産も同じです。人間的には抱え込んで、もっと沢山、もっと沢山というようになり
ます。困っている人がいても人、見たくない欲求だけになります。人間の力だけで、欲望をコントロールするのは
絶望的に無力です。私たちは、幸せなモデルを自分自身で求めるときです。社会が与える幸せのモデルは、よい大学を出て、安定した所得が保証される職業に就くこと、または、世界中でトップクラスのアスリートになり、豊かな所得の人生を送ることです。いづれにしても、人間の力だけでは、越えられないことを、存在の根源の力で越えなければなりません。

2019年3月6日 この日はmerdredi cendres です。cendrillonをご存知とおもいます。シンデレラです。神父様が、信徒の額に灰で十字架を記します。大人になっていつの間にか、欲望だらけの世界に、たっぷりと身を浸してしまいます。子供のような心を〝無邪気な”心といいます。そうそう!邪気がないのです。イエスキリストは〝子供のようにならなければ、神の国に入れない。”と言われれました。子供は天使です。悲しいほどに純粋に天使です。
私も、聖霊に助けられて、毎日を主の教えを守って歩きとおしたいと願っています。

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